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14-2 A → 児玉学友部長

児玉学友部長様


> 1★君は親鸞聖人が
>
> 横超とは選択本願なり
>
> 横超とはイコール選択本願
>
>
> と書いておられても、その後の文章を
>
> 自分のものさしで納得できないと、
>
> その前の文章を認めないというのですか。


そんなことは申しておりません。

横超とは選択本願なり、と仰っていることは僕は認めております。



> 2★「横超とは阿弥陀仏の本願だ」と、児玉の言葉を
>
> 信じると書いてありますが
>
> 横超には他に何か意味があると思っているのですか。
>
> それとも、阿弥陀仏の本願以外の意味はないと信じているのか
>
> どちらですか。


親鸞聖人は、「二には横超、選択本願・真実報土・即得往生也。」と仰っています。

親鸞聖人が3つの意味があると仰っているではありませんか。

『自分のものさしで納得できないと、その後の文章を認めないというのですか。』

と児玉先生より、教えていただいたばかりです。

児玉先生を信じるということは、当然、「阿弥陀仏の本願以外の意味もある」と仰った親鸞聖人のお言葉を信じるということです。



> 3★死後のことでないなら
>
> 即得往生は、この世のことですね。


そういうことになりますね。



> 4★親鸞聖人の仰言る即得往生は、不体失往生で、
>
> これは信楽に生まれさせるということです。
>
> わかりましたか。


親鸞学徒は、必ず親鸞聖人のお言葉を挙げて説明しなければならないと教えていただいております。

ですから、結論だけ教えていただいても、本当の意味で「わかった」ということにはならないと思います。



> 5★君の求道のものさしは何ですか。
>
> 本願成就文になっていますか。


親鸞聖人の御教えです。



> 6★横超とは阿弥陀仏の本願である、ということは
>
> 理解しましたね。


横超とは選択本願なり。
横超とは真実報土なり。
横超とは即得往生なり。

児玉先生より、この3つのうち、どれかを自分の考えて削ってはならないことを教えて頂きました。

ですから、横超には「選択本願」と「真実報土」と「即得往生」の3つの意味があることを理解しました。



> 7★阿弥陀仏の本願、イコール若不生者の誓いの
>
> 若不生者の生の意を、明らかにされたのが
>
> 成就文であることは
>
> わかりましたか。


8番と同じ質問だと思いますので省略します。



> 8★ 本願文36文字全体の解説が成就文である、
>
> ということは理解しましたか。
>
>
> 「横超とはすなわち願成就文」と親鸞聖人が仰ったお言葉
>
> は
>
> 「横超とはイコール願成就文」と仰ったお言葉です。


上記で児玉先生より、横超とはイコール願成就文と教えていただきました。

また、いつも、願成就文には、死後のことは一切説かれていない、と教えていただいております。

ところが、親鸞聖人が、横超をどのように教えられているか探してみますと、以下のような御文がありました。

【唯信鈔文意】
この一心は横超の信心なり。
「横」は、よこさまという。
「超」はこえてという。
よろずの法にすぐれて、速にとく生死の大海をこえて、無上覚にいたる故に、「超」と申すなり。
これ即ち如来大悲の誓願力なるが故なり。

【尊号真像銘文】
「横超」というは、「横」は如来の願力・他力を申すなり、「超」は生死の大海を易くこえて無上大涅槃のみやこに入るなり。

【教行信証信巻】
大願清浄の報土には、品位階次を云わず、一念須臾の傾、速やかに疾く無上正真道を超証す、故に「横超」と曰うなり。

いずれのお言葉も、親鸞聖人は、他力によって仏になることを、横超と仰っています。

仏になるのは死後と理解しています。

「死後、仏になること」とはイコール願成就と親鸞聖人が仰っていますが、この願成就は、本当に「願成就文」なのでしょうか?

親鸞聖人が成就文について、どのように書かれているか、教行信証を全て調べてみましたが、以下のように、必ず「成就の文」と書かれていました。

p271 願成就の文、経に言わく…
p322 本願成就の文、経に言わく…
p339 本願信心の願成就の文、経に言わく…
p343 是を以て本願の欲生心成就の文、経に言わく、至心に回向したまえり。
p392 願成就の文、経に言わく…
p411 願成就の文に言わく…
p437 此の願成就の文は…

「願成就」のように、「文」を省略されたところは一つもありません。

横超に死後の意味があることを考えましても、「願成就」は成就文のことではない可能性もあると思います。

インターネットで調べましたところ、

教行信証講義(山邊習學・赤沼智善)には、
『横超というは、本願の成就から開け来ったこれのみまこと、これより外はない、円融円満の真実〈まこと〉の宗教〈おしえ〉のことである。』
と訳されており、願成就文とは書いてありません。

また、本願寺名古屋別院のホームページでは、
『横超というのは、本願が成就して、すべての衆生が平等にさとりを開く唯一の真実円満の教え、すなわち真宗である。』
と書いてあります。

他にも、インターネットなので信憑性は確実ではありませんが、願成就を「願成就文」と解説している人は見つかりませんでした。

「願成就一実円満…」を「願成就文」と訳するのは、真宗で一般的なのでしょうか?

もしそうなら、そのように書かれている仏教辞典とか、仏教書の名前を教えていただければと思います。

疑問点は、

1、死後の意味がある横超と、願成就文がイコールでは矛盾する。

2、親鸞聖人は、成就文を「成就の文」と書かれており、「文」を省略されていない。

3、一般の解説を読んでも「願成就文」と書いてあるものが無い。

という3点です。

児玉先生が願成就を「願成就文」と解釈された理由は何でしょうか?

これがわかりませんと、8番は納得ができないです。




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