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16-1 児玉学友部長 → A

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★横超とは選択本願なり、と仰っていることは僕は認めております。


横超が選択本願だということについては、

児玉先生を信じることにします。


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と君が書きました。


★1★君は横超とは阿弥陀仏の本願であると

理解をしたということです。


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> 2★横超に「阿弥陀仏の本願以外の意味もある」ということですが
>
> それはどういう意味ですか。

「二には横超、選択本願・真実報土・即得往生也」という意味です。


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★2★上記は、横超は

阿弥陀仏の本願ではない、という意味ですか。




> 3★死後のことでないなら
> >
> > 即得往生は、この世のことですね。
>
> そういうことになりますね。
>
> 即得往生とはこの世のことだということはわかりましたね。

そういうことになりますね。




> 即得往生は、信心をうればすなわち往生すという
>
> ・・・不退転に住するをいう
>
>
> と仰っていますから
>
>
> 即得往生は、信心(信楽)をうること、それは
>
> 現生不退転の身になること
>
> これを不体失往生と
>
> 親鸞聖人は仰言っているのです。


【唯信鈔文意】
「来迎」というは、「来」は浄土へきたらしむという。是れ即ち若不生者のちかいをあらわすみのりなり。穢土をすてて、真実の報土へ来らしむとなり、即ち他力をあらわすみことなり。……「即得往生」は、信心をうればすなわち往生すという、「すなわち往生す」というは、不退転に住するをいう。

ここでしょうか?

児玉先生から「自分のものさしで納得できないと、その前の文章を認めないというのではならない」と教えて頂きましたので、その前の文章から引用しました。

これは、親鸞聖人が「若不生者」と「即得往生」の違いを明確にされた文章だと思います。

親鸞聖人が、このように「若不生者」と「即得往生」を並べて、違いを明確にされていますので、僕は親鸞聖人のお言葉を信じたいと思います。


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★このように君は阿弥陀仏の本願の

若不生者の生の心が分かっていないところから

すべての誤りが発生しているのです。


★3★上記の文章から

「若不生者」と「即得往生」が違うと、君は書いていますが

これは若不生者の生まれるは死後で

即得往生の生まれるは、死後ではなくこの世だと

理解しているのですか。


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★4★結局君の質問の源である

若不生者の生まれるは

死後だけだということですね。


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ところで、親鸞聖人は「信心をうれば、すなわち往生す」と仰っています。

「すなわち往生す」イコール「不退転に住する」ですから、

「信心をうれば、不退転に住する」

ということであり、信心をうることは、不退転に住するための条件だと、親鸞聖人は仰っています。


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★5★どうしてこれが条件だということになるのですか

説明してください。

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ですから、親鸞聖人のお言葉通りに解釈するならば、

「即得往生は、信心(信楽)をえた人が現生不退転の身になること」
となりますので、

「即得往生は、信心(信楽)をうること」と、勝手に書き換えてしまうと、意味が変わってしまうのではないでしょうか?



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★6★結局

即得往生と

信心をうることとは

どう違うのですか。


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> > 6★
> 横超とは選択本願なり。
> 横超とは真実報土なり。
> 横超とは即得往生なり。
>
> ------------------------------------------------------------
>
> ★君は親鸞聖人のお言葉を自分の都合のよいように
>
> 勝ってに、書き換えてしまっています。

「横超とは選択本願なり。」は児玉先生の書かれた言葉ですが、これも勝手な書き換えでしょうか?


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横超とは選択本願というのは

親鸞聖人のお言葉です。


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★7★君のいう横超とは即得往生なり

というのはどういう意味ですか。






> 7★阿弥陀仏の本願、イコール若不生者の誓いの
>
> 若不生者の生の意を、明らかにされたのが
>
> 成就文であることは
>
> わかりましたか。

児玉先生に「横超とはイコール成就文」と教えていただいたことについては、
前回も申し上げましたように、以下の疑問点があります。

1、死後の意味がある横超と、願成就文がイコールでは矛盾する。


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この疑問は若不生者の生まれるの意味を君が混乱して

分かっていないところから

起きているのです。

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2、親鸞聖人は、成就文を「成就の文」と書かれており、「文」を省略されていない。

3、一般の解説を読んでも「願成就文」と書いてあるものが無い。

これについての説明が、まったく何もありませんのに、「わかりましたか」と聞かれても困ります……。



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★8★


君は親鸞聖人が願成就と仰言っているのは

本願成就文のことではない

と思っているのですか。


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★9★

18の願にとりてはまた

願成就をもって至極とす、という覚如上人のお言葉も

本願成就文でないと思っているのですか。


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若不生者が、「信楽に生まれさせる」と説明されるのに、必要ないことであれば、この問題は棚上げにされても結構ですが、

本願文イコール成就文、という前提で話を進められても、納得できませんので、その点申し上げておきます。



★10★

本願文36文字全体の解説が成就文である

ということは分かりましたか。


この点については文句がないようですね。

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児玉英志
Email : ********@****.jp
2009/01/11(Sun) 13:32
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