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19-2 A → 児玉学友部長

児玉学友部長様


10日お待ちしましたが、いまだに返信が届いておりません。

お忙しいことと存じておりますが、どうなされましたのでしょうか?

今回は、1月15日に頂いたメールについての、お返事をさせていただきます。



> > 即得往生とはこの世のことだということはわかりましたね。
>
> そういうことになりますね。
>
> ------------------------------------------------------------
>
> 弥陀の本願は即得往生だということを
>
> A君も認めざるを得ないようですね。


『即得往生とはこの世のことだと分かった』
ということと、

『弥陀の本願は即得往生だということを認めた』
ということは、

まったく違うことのように思いますが、これが、どうして同じになるのでしょうか?



> ここも、君の『成就文』の無知から来る誤解です。
>
>
> 同じ『唯信鈔文意』に聖人は、
>
> 『「真実信心をうれば実報土に生る」と教えたまえるを浄土真宗と
>
> すと知るべし』と説示され、
>
> 「今、信楽に生まれている人だけが、死んで報土へ生まれられると
>
> いうのが、浄土真宗の教えだ」と明言されてます。
>
>
>
> 誰でも死ねば極楽に生まれるのではない。
>
> 信楽に生まれた人だけが、報土往生できるのだから、
>
> 弥陀が「若不生者」と命を懸けられたのは、
>
> 信楽に生まれさせる「不体失往生」であることは当然でしょう。



つまり、信楽に生まれさえすれば、自動的に報土往生できるのだから、弥陀が「信楽の者を報土往生させる」と誓う必要はない、ということでしょうか?

上記のお言葉を探しましたところ、唯信鈔文意の第3章に書いてありました。



【唯信鈔文意】p617~

「彼仏因中立弘誓、聞名念我総迎来、不簡貧窮将富貴、不簡下智与高才、不簡多聞持浄戒、不簡破戒罪根深、但使回心多念仏、能令瓦礫変成金」(五会法事讃)。
「彼仏因中立弘誓」。この意は、「彼」は、かのという。「仏」は、阿弥陀仏なり。「因中」は法蔵菩薩と申しし時なり。「立弘誓」は「立」はたつという、なるという、「弘」はひろしという、ひろまるという、「誓」はちかいという、法蔵比丘超世無上のちかいを発して、ひろくひろめたまうとなり。

(中略)

「総迎来」というは、「総」はふさねてという、すべてみなという意なり。「迎」は、むかうるという、まつという、他力をあらわす意なり。「来」は、かえるという、きたるという。法性の都へ、迎えてかえらしむとなり…

(中略)

「不簡破戒罪根深」というは、「破戒」は、上にあらわす所の、よろづの道俗の戒品をうけて、破り棄てたるもの、是等をきらわずとなり。「罪根深」というは、十悪・五逆の悪人、謗法・闡提の罪人、おおよそ善根すくなきもの、悪業おおきもの・善心あさきもの・悪心ふかきもの・かようのあさましきさまざまの罪ふかき人を、「
深」という、ふかしという語なり。
 すべてよき人・あしき人・とうとき人・いやしき人、無碍光仏の御誓にはえらばず、これを導きたまうを先とし、旨とするなり。「真実信心をうれば実報土に生る」と教えたまえるを浄土真宗とすと知るべし。「総迎来」というは、すべてみな真実信楽あるものを浄土へ迎えいて還らしむとなり。
「但使回心多念仏」というは…



この章は、「五会法事讃」の解説をされた御文です。

この「五会法事讃」のお言葉は、阿弥陀仏の本願を教えられたものであることは、後の文章から明らかです。

その中で、「真実信心をうれば実報土に生る」というお言葉は、「不簡破戒罪根深」の解説の中に出てきます。

ここには、どんな罪深い者でも本願の対象であることが書かれています。

そして、すべての「真実信楽あるもの」を、浄土へ迎え還らせる誓いであると結んでおられます。

つまり、阿弥陀仏が、
『どんな罪深い者でも、すべての「真実信楽あるもの」を浄土往生させる』
と誓われているから、「真実信心をうれば実報土に生る」と教えられているのです。

ですから、前後関係を読めば、これは「信楽の者を報土往生させる」と誓われた根拠であることは、僕のような不勉強な者でも分かると思います。

これを、「信楽の者を報土往生させる」と誓う必要が無い、と解釈されているとすれば、余りにもヒドイのではないでしょうか?


児玉先生の御意見を確認させていただきますが、

1、信楽にさえなれば、報土往生できる。だから、阿弥陀仏が「信楽の者を報土往生させる」と誓う必要は無い。

2、信楽の者が、報土往生できるのは、それが阿弥陀仏の本願だからである。すなわち「信楽の者を報土往生させる」と誓われている。

1と2の、どちらでしょうか?



> だから「若不生者のちかい」の真意を明かされた『成就文』には、
>
> 死後のことは一切説かれず、
>
> 「即得往生」と現在の往生だけが教えられているのです。
>
>
>
>
> 「若不生者」は「死後、浄土に生まれることだけ」とは、
>
> 『成就文』のどこにも説かれていません。


児玉先生の解釈によると、「若不生者」は「現在、信楽に生まれさせることだけ」ということになると思いますが、

死後のことは一切、誓われていないということでしょうか?



> 『唯信鈔文意』のご文も、
>
> 「若不生者のちかい」によって信楽に生まれた人だけが、
>
> 「穢土をすてて、真実報土へ」生まれられることを
>
> 教示されたものです。


前後関係を読みますと、どう考えても、そういう解釈にはならないのですが、どのように読んだら、そのような意味になるのか、教えていただけないでしょうか?



> ★10★
>
> 本願文36文字全体の解説が成就文である
>
> ということは分かりましたか。
>
>
> この点については、何ら反論がないようなので
>
>
> 本願文36文字全体の解説が成就文である
>
> ということは分かりました。
>
> と断じます。


わずか3日ほど返事をしなかっただけで、反論なしと断定されるのですか。

児玉先生が、そういうお考えでしたら、僕も、児玉先生から3日ほど返事がなければ反論なしと断定しますが、よろしいでしょうか?



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